大分県はくじゅう連山をはじめ、鶴見、由布岳などその県土の7割を山林が占めています。
また豊前海や別府湾、豊後水道などに囲まれており、海の資源も豊富です。
「おんせん県おおいた」の名の如く、もちろん「温泉」も有名ですね。
本展覧会のテーマは、そんな大分県の大自然と、その大自然に生かされてきた人々の物語。
貴重な鉱物標本や多くの資料をもとに、古代から現代へと続いている物語を紐解いてみましょう。
プロローグ 太古
本展覧会は5部構成になっています。
5部といっても、それぞれのボリュームは多くないので、ゆっくりと見て回っても約1時間程度になるかと思います。また館内の資料は撮影OKです。
一番最初に出迎えてくれるのは魚類の化石。
先カンブリア代から新生代第四紀という聞き慣れない時代の一品です。
先カンブリア時代とは
約46億年前、地球が誕生。
肉眼で見える大きさで硬い殻を持った生物の化石が初めて産出する5億4100万年前以前の期間を指す。
新生代第四紀とは
今から170万年前から現代に至るまでの期間。
地球上に人類が進化、拡散、活動している時代のこと。
最初からスケールがでかい。
大分県から出土した化石、ということでなんだか一気に古代を身近に感じます(単純)。
今踏みしめている大地も、昨日食べた魚も、今生きている私たちも古代から連綿と続いている歴史の上に乗っかっているんですね。
第1章 山に暮らす
大分県土の約7割を占める山々。
その山から産出する鉱物資源は、古くから大分に住まう人々の生活を成り立たせてきました。
蛍石や水晶などの美しい鉱石や、鉄の原料となる鉄鉱石も出土するようです。
くじゅう連山の硫黄山から産出した硫黄(でかい)。
硫黄は薬品や火薬の原料として重宝されていました。
室町時代には日明貿易で東アジアへも輸出されていたのだとか。
ところどころ金糸があしらわれた馬上金山刺繍屏風(1921年)。めっちゃバブリー。
もちろん鉱物資源は無限に産出できるわけではありません。
現在の豊後大野市にある尾平鉱山では寛永通宝(銭)を鋳造する際に使われる錫(すず)や鉛(なまり)を生産していましたが、江戸時代後期には生産不調に陥りました。
食えなくなった鉱山夫は副業として椎茸栽培に乗り出し、そして今では椎茸は大分県の主要農産物となっています。
時代の移り変わりとともに主要産業が変化していくのは今も昔も変わらないようですね。
第2章 海に生きる
おおいたは海の資源にも恵まれた土地です。
日本三大干潟の一つである豊前海、外洋水と内海水が混合する別府湾、深く入り組んだリアス式海岸の豊後水道など、変化にも富んでいます。
上記は姫島産の黒曜石の分布を地図に落とし込んだものです。
黒曜石といえば縄文時代に広く道具に使われていた主要鉱物。
(弥生時代からは鉄が登場するので黒曜石の分布を見ることで縄文時代の貿易・流通の歴史を見ることができます)
姫島が黒曜石の産地として優秀だったことが分かりますね。
当然ながら自然が授けてくれるのは恵みだけではありません。
地震や、地震に伴う津波などの自然災害の記録も残っています。
上記の写真は大友府内町跡の地質調査で確認された大地震の痕跡です。
中央に見られる赤い矢印部分の線状の跡は、噴砂と言われるもの。
震度5以上の強い地震が発生した時に、液状化した砂が地表面へと吹き上がる現象です。
室町時代から江戸時代にかけて無数の噴砂が確認されていることから、自然の厳しさとともに暮らしていたことを垣間見ることができます。
第3章 湯に浸かる
「おんせん県おおいた」。
源泉数、湧出量がともに日本一という大分県の観光キャッチコピーです。
その歴史は古く、別府温泉が生まれたのは今から約5万年前だと考えられています。
人々が温泉を活用していたという記事が歴史上に現れるのは奈良時代に編纂された「豊後国風土記」だそうですが、随分昔から大分の人々は湯とともに生きてきたのですね。
上記の写真は江戸時代に描かれた「豊後国速見郡鶴見七湯の記」。
中央右奥には温泉を利用した調理法「地獄蒸し」を行う様子も描かれています。
また、温泉の恩恵を受けているのはヒトだけではありません。
上記はオンセンゴマツボという貝の拡大写真です。
水温35℃〜45℃の温泉水が流れる水路などに生息するわずが4mm程度の絶滅危惧種の貝。
大分県内にしか生息せず、1965年を最後に姿を消したと思われていたそうですが、最近別府・亀川で生存が確認されたとのこと。
絶滅危惧の貝、60年ぶり別府で確認 オンセンミズゴマツボ
温泉の中でしか生きられない貝が、しかも大分県内のみで生息しているなんて、ちょっと微笑ましいですね。
研究も調査もまだまだこれからでしょうから、今後が楽しみです。
第4章 野山に遊ぶ
豊かな自然に囲まれたおおいた。
自然は人々の暮らしに必要な産物だけではなく、教育・学問の場でもありました。
大分・日田は豆田町に生まれた廣瀬淡窓(ヒロセタンソウ)は江戸時代の儒学者、教育者です。(上記の写真は廣瀬が愛用していた文具)
出身は裕福な商家でしたが、病気を機に家督を弟へ譲り、本人は学者の道を志しました。
廣瀬が開いた私塾「咸宜園(かんぎえん)」では、門下生を身分、年齢、学歴の区分なく平等に扱いました。その教育のあり方は多くの人に慕われ、各地から集まった門下生は一時期200名を超えたそうです。
その咸宜園での今で言うところのカリキュラムとして取り入れられていたのが野山に遊ぶ「遊山」です。
野山に分け入り、時には詩を読んだり景色を楽しんだり・・門下生たちの豊かな感性を育むためには「遊山」が大事と廣瀬は考えていたのでしょう。
第5章 宇宙(そら)を目指す
物語もいよいよ最終章。
豊かな自然に囲まれ、時には災害に見舞われる中、人々は気がつけば幾度となく天を仰いだことでしょう。
昼は青空、夜は満点の星空を。
毎年夏になると話題になるペルセウス座流星群も、昔から観測されていました。
なんのこっちゃ?って感じですが・・
解説によると、1784年にペルセウス座流星群のほうき星が、1786年には金環日食と皆既日食が観測されていたそうです。
こういう細かい記録まできちんと残っているのが日本の怖いところですね。
そして日食といえば、大分県杵築出身の天文学者「麻田剛立(アサダゴウリュウ)」です。
幼い頃から天体へ魅せられていた麻田は、ほぼ独学で天文学を学び、当時の江戸幕府が作成していた暦にも掲載されていなかった日食の正確な日時を予測、的中させます。
また、日本で初めて正確な月面観測図を描いたのも麻田です。
上記は麻田が三浦梅園に宛てた書簡の中に書き記した月面の観測図です。
(ちなみに三浦梅園は第4章で出てきた廣瀬淡窓の私塾・咸宜園の門下生です)
極めて正確な描写で描かれており、その功績を讃え国際天文学連合が月のクレーターに「アサダ・クレーター」と名付けました。
人々にとって見上げる対象だった空、宇宙。
現代の人類にとっては、もはや「行ける場所」になりました。(と言っても生きている間に私は行かないと思いますが)
古代から始まった「おおいたの自然と人の物語」もここで終幕です。
大分の歴史、自然史、その中でたくましく育まれた人々の偉大な業績・・知らないことばかりでとても興味深い展覧会でした。
自然といえばとかく災害(地震、台風、気温上昇)ばかりがフューチャーされがちな昨今ですが、「大自然に生かされてきた人類」という当たり前の事実を改めて思い知りました。
視点を広げれば「ヒト」も自然の一部であるはずで、というか一部でなければならないと考えているのですが、近代以降、自然は共生するものではなく、人間が支配したり従えることができるモノという認識になっている気がします。
自然と共存していくために何より大切なことはやはり「知ること」なのだと考えます。
本展覧会は、物語形式になっており大変分かりやすい構成になっていました。
また、資料展示も見やすく面白かったです。
会場の様子
広々とした通路、大きなガラス展示、位置も低めなので見やすかったです。
解説表示がやや高めの位置ですが、入り口に解説パンフレットも設置されているので、観覧に不自由はないと思います。
おおいたの自然と人の物語 概要
(発泡スチロールで手作りしてるぽくて好感度100億点のタイトル展示)
おおいたの自然と人の物語展は、大分県立歴史博物館にて2023年9月10日(日)まで開催中です。
自然に生かされ、学び、時には対峙し、命をつないできた歴史の物語。お見逃しなく。
開催期間 | 2023年7月7日(金)〜9月10日(日) |
開館時間 | 午前9時〜17時 (入館は閉館の30分前まで) |
休館日 | 月曜日 |
観覧料 | 一般 310円 高大生160円 中学生以下・土曜日の高校生、障害者手帳掲示者とその介護者(1名)は無料 |
ギャラリートーク | 8月25日(金)、9月10日(日) 両日 13:30〜14:30 (要観覧料) |
HP | 大分県立歴史博物館https://www.pref.oita.jp/site/rekishihakubutsukan/ 展覧会に関するページhttps://www.pref.oita.jp/site/rekishihakubutsukan/r5-kikaku-nature.html |
https://www.instagram.com/rekihaku_oita/ | |
駐車場 | 有(150台、無料) |