2022年9月21日、大分iichiko総合文化センターで開催された「青島広志のおしゃべりオペラティックコンサート」。
青島広志さんといえば、テレビ「題名のない音楽会」などで有名な方ですね。
音楽・・特にクラシック、ましてオペラなどついぞ触れたことのない私ですが、チケットの安さ(1,000円)と、著名な方がお見えになる、ということにつられて観覧してきました。
結論から言えば、とても有意義な時間を過ごすことができました。
オペラ音楽に全く無知な状態でも、分かりやすく、楽しませてくれ、なおかつ演奏の合間に繰り出される青島さんの軽快なトーク。
プロのオペラ歌手の方による歌唱は、時間や場所を忘れるくらいうっとりしてしまいました。
なんとなく敷居が高そうで、遠慮したくなるオペラ音楽の世界だったのですが、観に行って良かったです。
青島広志さん 略歴
東京藝術大学および大学院修士課程を主席で修了し、修了作品のオペラ「黄金の国」(原作:遠藤周作)が同大学図書館に購入され、過去2回の東京都藝術フェスティバル主催公演となる。
作曲家としては「火の鳥」(原作:手塚治虫)、「黒蜥蜴」「サド公爵夫人」(原作:三島由紀夫)など、その作品は200曲を超える。
ピアニスト・指揮者としての活動も40年を超え、最近ではコンサートやイベントのプロデュースも数多く行っている。
元東京藝術大学講師、足洗学園音楽大学客員教授。日本現代音楽協会、作曲家協議会、東京室内歌劇会員。
頂いたパンフレットの略歴を見ると、もうとんでもない実績の方だと分かります。
しかし、壇上の青島さんはテレビでお見かけする通りの、柔らかいお声、口調でお話をされる方でした。
もしかしたら、想像していた以上かもしれません。
ピアノを弾きながら、語り口は優しく、楽しく、そして分かりやすい言葉でオペラのことを教えてくれる、そんな方でした。
おしゃべりオペラティックコンサート 概要
演奏曲目は、以下の通りです。
【G.ロッシーニ】1792-1868
歌曲「音楽の夜会」(1830年頃〜35年)より〈約束〉
ゴンドラの唄(1915年)作詞:吉井勇/中山晋平
歌曲「音楽の夜会」より〈踊り(ナポリのタランテッラ)〉
鉾をおさめて(1928年)作詞:時雨音羽/作曲:中山晋平
【V.ベッリーニ】1801-1835
歌曲「3つの未刊のアリエッタ」(1837年頃〜38年)より〈銀色の淡い月よ〉
歌曲「6つのアリエッタ・ダ・カメラ」(1829年)より〈マリンコニア、やさしいニンフ〉
歌劇「カプレーティ家とモンテッキ家」(1831年)より〈ああ、いくだびあなたのために天に祈ったことか〉
花嫁人形(1932年)作詞:蕗谷虹児/作曲:杉山長谷夫
【G.ドニゼッティ】1797-1848
歌劇「愛の妙薬」(1832年)より〈人知れぬ涙〉
宵待草(1917年)作詞:竹久夢二・西條八十/作曲:多忠亮
歌劇「連隊の娘」(1840年)より〈告別の歌〉
歌劇「ファヴォリータ」(1840年)より〈優しい面影〉
歌劇「ランメルモールのルチア」(1835年)より〈あたりは沈黙に閉ざされ〉
〈裏切られた父の墓の前で〜燃える吐息はそよ風にのって〉
エルガルドとルチアの二重唱
演目を見ても、そして実際演奏・歌唱された曲を聞いても、ほぼ「聞いたことある!」という曲はなかったです、笑。
日本人が作詞・作曲したタイトルの演目が入っているのは、それぞれ似ている(青島さんの解説では「パクった」)からだそう。
また、「花嫁人形」は会場となったiichiko総合文化センター側からの希望だそうです。
サビの部分が、大分老舗の某デパートで12時になると流れるから、らしいのですが・・残念ながら某デパートとは縁の無い暮らしを送っているのでちょっとピンとこなかったです。
ただ、曲の演奏の前には必ず、作曲者の概略、歌劇の場合はシチュエーション、曲のタイトルの意味などを丁寧に説明して下さるので、世界観に没入しやすかったです。
ちなみに昨年iichiko総合文化センターでおしゃべりオペラティックコンサートをした際は、チャイコフスキーの白鳥の湖に合わせてバレエのダンサーさんが舞踏を披露されたそう。
何それ超観たい。
青島さんマジでずっとしゃべってる
「おしゃべりオペラティックコンサート」のタイトルに偽りなく、よどみなく青島さんのお話は続きます。
またピアノ演奏は青島さんご自身がされており、たまに弾きながらお話もされていたので、青島さんのお話が途切れるのはオペラ歌手の方が歌唱されている時間のみ、というとんでもない構成になっていました。
なんという濃密な時間・・・。
実際公演は2時間あったのですが、あっという間に感じました。
オペラの成り立ちに驚く
オペラはもともと1600年頃、イタリアのフィレンツェで成立したものでした。
約50年後、その中心地はヴェネツィアへと移るのですが・・そもそもなぜイタリアで流行ったというと、その当時医学が最も発達して、優秀な医者が集まっていたのがイタリアだったからだそうです。
なぜ優秀な医者が集まるとオペラが盛り上がるのか、というとそれは、当時女性は歌うことを禁止されていたから。
女性が歌えない、となると高い音を出すのは男性、それも少年の担当になります。(現代のウィーン少年合唱団をイメージしてもらえると分かりやすいです)
そこになぜ医者が絡んでくるかというと、男性の声変わりを防ぐために男性器を切断していたからだそう。
当然ながら、外科手術は失敗することもある危険なもの。
そのため優秀な医者が集まると、手術の成功率が上がり→高い声を出せる男性を多く揃えることができる、という構図が成り立っていたようです。
会場内には家族連れや子供たちも少なからず居たため、青島さんはまず「あまり言いたくはないのですが・・」と前置きされて、「女性が歌うことを禁止されていた」ということや、「体の一部を切断する」という表現に換えていらっしゃいました。
全く知らなかったオペラの成り立ち。
歌うことが禁止・・?!と思わず現代のジェンダー感で捉えて動揺してしまいましたが、考えてみれば麻酔を使用した外科手術が世界史に登場するのは1800年代。
麻酔無しで男性器の除去手術に挑んだという彼らも、痛い上に命がけです。
特権階級を楽しませる為、そして自らの身を立てる為に文字通り命をかけた彼ら。
ちなみに手術を受け、活動を続けた後に高い声が出なくなった男性たちはその後、作曲家へと転身していく方が多かったそう。
それでますます作曲家層が厚くなり、オペラが発展していったそうな。
うーん、オペラって大変・・。
コロナ禍を通してみる音楽界の状況
公演の冒頭、青島さんがおっしゃっていたのですが、コロナ禍前後で収入は9割減になったそうです。
演奏会、コンサートなどが中止になったことはもちろん、学校などの教育関係での活動の際も、人数制限をかけている為、生徒を3回に分けて公演しているのだとか。
また、教育関係の仕事は、生徒一人あたりに対して予算が下りる為、同じ公演を3回やっても3回分の収入があるわけではなく、労力が3倍になって収入は同じ・・・とのこと・・。
コロナ予算は少なくとも数兆円は余っていたはずですが・・・。
感染予防対策の為に、公演を数回に分けているのに、なぜそんなことになっているのでしょうか・・。
感染対策ではなく、子どもたちへの教育費用として割り切った場合でも、子供に対する予算を全くかけない国、日本ではこの先音楽家たちの窮状を救うような対策を行うとは思えません。
青島さんは「税理士さんから朝食を210円で賄ってくださいと言われました」と冗談まじりにお話され、なおかつ「このような演奏会の機会を設けて下さり、そして皆様とお会いできて幸せです」ともおっしゃって下さいました。
テレビでお見かけしたことのある青島さんクラスの方ですら、そのような現状なのですから、音楽分野、ひいては芸術を生業とされる方の心情は察するにあまりあります。
(非正規雇用の私が言えた言葉ではありませんが)
加えて、日本国民がどんどん貧乏になっていくことが分かりきっている現状では、芸術分野を楽しむ余裕のある人数すらどんどん減っていくことでしょう。
それでもやっぱり美しいものに触れていたい
上記の写真は、iichiko総合文化センター内から見た大分県立美術館です。
大分県は、割と美術や芸術分野に対する補助が厚い県だと思います。
大抵の美術展は中学生以下は無料になったり、今回のコンサートもなんと25歳以下は半額の500円で観覧することができます。
私も最初はチケット代の安さにつられて鑑賞した質です。
それでも青島さんのトークの軽妙さ、オペラ歌手の方の歌唱の素晴らしさに魅了されました。
肝心のオペラのことはチンプンカンプンでも、芸術に触れたことで、少しだけ自分の世界観が広がり、勉強にもなりました。
私は芸術分野を支えたり、応援したりするほどの財力なんて全くありませんが・・それでもタイミングが合えばどんどん芸術に触れていきたいと思っています。
皆さんも、機会があればぜひいろんな音楽界や美術展に訪れみてほしいと思います。
特に青島さんのコンサートはいいぞ。
青島広志さんの公演予定などが分かる公式ホームページはこちらから↓
http://aoshima-hiroshi.com/
関連記事:【大分iichiko総合文化センター】フランチェスコ・ミケーリが語る 音楽祭とまちづくり【感想】