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【大分県立美術館】北斎と広重 冨嶽三十六景への挑戦  江戸東京博物館コレクションより【感想】

投稿日:2024年7月28日 更新日:

日本を代表する浮世絵師・葛飾北斎と歌川広重。


名前は耳にしたことがなくても、その絵を見れば「なんとなく見たことある!」となるくらい日本的なアイコンとしても親しまれています。


今回の展覧会は、江戸東京博物館が所有する浮世絵コレクションより北斎の代表作「冨嶽三十六景」、広重の代表作「東海道五十三次之内」を中心に、二人の浮世絵師の「挑戦」をテーマに構成されたもの。
江戸東京博物館が休館中の今ならではの展覧会で、九州では大分のみでの開催です。


会期中は大規模な展示替えも予定されており、前後期を通して見ると「冨嶽三十六景」の全46図を見ることができるというコンプリート心をくすぐる仕掛けも。


会場内は一部の説明パネル(3枚)を除き全作品が撮影OKという太っ腹。作品数もかなり多いので潤沢な展覧会となっています。

北斎の挑戦

葛飾北斎。

本展覧会の目玉となる「冨嶽三十六景」の刊行が始まったのは北斎が70歳の時でした。

幼少期より絵をよく描いていたという北斎が浮世絵師としてデビューしたのが18歳。それからひたすらに絵を学び、構図や線を研究をしつづけた不断の努力の人、それが北斎です。
90歳で没する直前にも「もう少し長生きしたい、長生きしてもっと絵がうまくなりたい」と語っていたそうですから、彼は生涯自分の理想に挑戦し続けた人といえるでしょう。なんという精神力。

「仮名手本忠臣蔵五段目」(1806年)。北斎当時46歳。
忠臣蔵といえば当時は歌舞伎でも有名なテーマでしょうし、誰でも知っている物語であるからこそ構図の立て方やどのシーンを切り取るかなどの作家の個性が見えてくる題材です。

「鎮西八郎為朝外伝椿説弓張月後編巻之三」(1808年)。曲亭馬琴作で、北斎(当時48歳)が挿絵を担当しています。

船が転覆するシーンを見開きで迫力たっぷりに描き出す北斎。波の細かい描写、なすすべなく海中に落下していく武士たちの阿鼻叫喚が伝わってきます。現代のいわゆる「マンガ」らしい集中線やトーン、効果音などの文字なしでこの迫力。まだ発展途上のハズの画力がすごい。

こちらも「鎮西八郎為朝外伝椿説弓張月続編後編巻之三」(1808年)。同じく曲亭馬琴作です。
解説によると、ラスボスの登場シーンだそうです。絶望をも感じさせる描写。強そう。
このクオリティの絵がすでに江戸時代に描かれているのかと思うと驚きです。

上記は「北斎漫画十編」(1819年)。北斎漫画とは葛飾北斎の画集のことで、人物、動物、風景などのあらゆる題材をテーマに描かれています(当時北斎59歳)。
1814年から刊行された北斎漫画は、北斎没後の1878年(明治11年)に最終巻の十五編が刊行。60年以上にもわたるベストセラーだったようです。

「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」(1831〜33年頃)。北斎71歳頃。

そんなわけでいよいよ本展の目玉作品の登場です。2024年発行の新千円札の裏面にも採用された「浪裏」。
波しぶきの一瞬のカタチを捉えた大胆な表現。ここだ!という構図の強さ。逆に色味はグッと控え目に。北斎の今までの修練の賜物といった印象を受けます。

迫力とインパクトのある絵ですが、実物大は約縦28cm×横40cmと決して大きくはありません。
しかし一度見たら忘れられない魅力があります。

会場ではもちろん他の冨嶽三十六景図も展示されています。また有名な赤富士は後期より展示予定となっています。リピーター割もあるので、前後期通して観覧するのもおすすめです。

広重の挑戦

本展もう一人の主役、歌川広重。

火消同心(下級役人)の長男として生を受け、やはり北斎と同じく幼少期より絵をよく描いていたそうです。ただ13歳で同心職を継いだため、浮世絵師としてのデビューは22歳頃。広重が浮世絵に専念できるようになったのは養子に同心職を譲った36歳以降でした。しかし62歳で没するまでのわずか30年にも満たない年数で北斎と同じく歴史に名を残した浮世絵師となったのだからやはり広重もすごい人です。

「三保松原図」(1806年)。
広重が10歳の時に描いた、富士山を望む三保の松原です。夢の原点となったこの絵を、広重は生涯手元に置いていたそうです。

家業を養子に譲り、画業に専念できるようになった広重は一立斎と号も改め、そのお披露目会を料亭で開催しました。そんな広重に大きな仕事の依頼が舞い込みます。あの「東海道五十三次之内」シリーズです。

そしてそれはすでに大浮世絵師として名を馳せていた北斎への挑戦ともなりました。

北斎の風景画とはまた違う、四季や時間の移ろい、人物の心情まで取り込んだ広重の「東海道五十三次之内」は爆発的な売上となりました。

「東海道五十三次之内 日本橋 朝之景」(1834〜36年頃)。広重38歳。
朝焼けの日本橋を、飛脚や魚売りが気ぜわしく行き交っています。人々の喧騒まで伝わってきそうな風景。一瞬を切り取った北斎の風景画とはまた違う、広重ならではの切り取り方です。

「忠臣蔵 夜内三 本望」(1830〜44年)。
北斎も描いていた忠臣蔵シリーズ。広重も当然手掛けています。
浪士たちが吉良上野介をついに追い詰めたシーン。白い雪は踏み跡で荒らされ、左奥ではまだ戦闘が続いており緊迫感が伝わってきます。

「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」(1857年)。広重60歳。

「ひまわり」で有名なヴィンセント・ヴァン・ゴッホが模写したことでも知られるシリーズ。
激しい夕立が黒い線で太さを変えながら表現されています。上空には黒い雲も立ち込めており、なんとなく不安感も。雷鳴や雨音すら聞こえてきそうな絵です。

「冨士見百図」(1859年)。広重62歳。
各地からの富士山図20図を収録したものです。まさに富嶽三十六景を描いた北斎への最後の挑戦でしたが、広重の急逝により初編の1冊のみで終了となりました。
上記は「駿州三保之松原」。52年前、広重が10歳で描いたのと同じ三保の松原です。

後期も行ってみた!

8/20(火)より始まった後期展示にも行ってきました!

「冨嶽三⼗六景 凱⾵快晴」(1831〜33年頃)。北斎71歳頃。
「浪裏」と並んで北斎の代名詞とも言える「赤富士」です。好天に恵まれた初夏の早朝、山肌を朝日が染める様子を描いたものだそうです。(こちらは9/2(月)までの展示です)

「冨嶽三⼗六景 尾州不⼆⾒原」
現在の名古屋市中区富士見町あたりから、シリーズの中で一番遠くからの富士を描いたものだそうです。(実際には見えないらしい。)北斎は名古屋に滞在したことがあり、その時の印象を描いたものかもしれません。

「名所江⼾百景 深川万年橋」(1857年)。広重60歳。
同じ場所で北斎が橋の下から富士山を描いたものを、広重は橋の上から亀が富士山を見下ろす構図に仕立てたものです。広重にとって北斎はやはり特別な存在だったようです。


他にも広重が描いた忠臣蔵も違う場面のものが展示されていたり、かなり作品が入れ替わっていました。前期に行ったよ〜という方も、ぜひタイミングがあえば訪れてみてほしいです。

まさに少年ジャンプの主人公

上記は北斎83歳頃の暮らしぶりを再現したジオラマです。
生涯で93回も引っ越しを繰り返したという北斎。左の女性は三女の阿栄(おえい)。
寒がりでコタツを離れず、起きている時はずっとこんな感じで絵を描いていたそうです。もう妖怪絵描きジジイやん。

めっちゃ狭い家の畳の上から「THIS IS JAPAN」みたいな作品がポコポコ生まれてきたのだと考えると言葉をなくしてしまいますね。


広重が物心付く前からすでに活躍していた北斎。


絵を志す者が北斎の作品を見ると、その才覚に圧倒されすぎて「挑戦の心意気」まで無くしてしまいそうになるのでは・・と思うくらいに素晴らしい作品の数々でした。現代にも通づる構図や表現って北斎がほとんど生み出しているのでは・・となるくらい。
しかも北斎自身がずっと努力や研鑽を重ね続けているのです。怖い。


そんな中、北斎とは違った一面から果敢にも風景画にチャレンジしていった広重。


広重が「東海道五十三次之内」シリーズを手掛け、爆発的な人気となり名声を馳せていく中、北斎は版画の制作を行わなくなり、活躍の主体を肉筆画へと移行していったそうです。


まるで少年ジャンプの看板作家が入れ替わるみたいだと思いました。北斎は掲載誌を変えて名作を生み出し続ける大ベテラン作家のよう。けれど二人が手掛けた作品の数々は間違いなく今なお日本芸術の黄金期に燦然と輝いてます。もちろん北斎と広重だけではなく、この時代に切磋琢磨しあった芸術家たちの作品が「THIS IS JAPAN」なのは言うまでも有りません。


ただただクオリティで殴られるような素晴らしい展覧会でした。

北斎と広重 冨嶽三十六景への挑戦  江戸東京博物館コレクションより 概要

「北斎と広重 冨嶽三十六景への挑戦  江戸東京博物館コレクション」展は大分県立美術館にて9/8(日)まで開催中です。
作品数がかなり多いので、一枚羽織る物があるとじっくりと観ることができるので安心です。

会期中は展示作品の入れ替えも予定されています(後期8/20〜)。前期のチケット半券で、後期展示がお得に観覧できるリピーター割もあるので、冨嶽三十六景図をコンプリートしたい!という方はぜひ訪れてみてください。

開催期間2024年7月26日(金)〜9月8日(日)
開館時間午前10時〜19時
入館は閉館の30分前まで。
金・土曜日は20時まで開館。
休展日8/19(月)
観覧料一般  1,400円
高大生 1,000円
中学生以下及び身体障がい者手帳、療育手帳、精神障がい者保健福祉手帳を提示の方と付添者1名は無料

前期チケットの半券を提示すると、後期(8/20〜)観覧料は1,000円
HP大分県立美術館https://www.opam.jp/
Instagramhttps://www.instagram.com/opamjp/
駐車場有(詳しくは大分県立美術館のホームページまで)

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