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労働などAIにまかせ、我々は古代ギリシア人のように生きるのだ

投稿日:2023年6月12日 更新日:

世界に衝撃を与えたChatGPTや翻訳でおなじみのDeepL、はたまた数分の曲を数秒で作曲してしまう音楽生成AIソフトや、TikTokで動画が100万再生された「実在しない」AIインフルエンサー。


実は、NHKのおはよう日本でも2022年からすでに自動音声のAIがニュースを読み上げています。


最近ではAI、つまり人工知能技術の発展や進化を伝えるニュースが流れる度に上から下まで大騒ぎ。


テスラCEOの起業家イーロン・マスクや、ベストセラーとなった「サピエンス全史」を著したユヴァル・ノア・ハラリまでAI研究の一時休止を求める公開書簡に署名したり、「将来AIに奪われる職業ランキング」なんてものをテーマにした番組のコーナーはお昼のワイドショーでも鉄板ネタです。


AIの進化は脅威だ、仕事を奪われて、最終的には人類の文化までやがて人工知能に乗っ取られるんだ・・・。


歴史を振り返ると、技術の進化はもてはやされてきたはずですが、人々がそんなディストピアを想像してしまうのはなぜなのでしょうか。

そもそも人類は労働をしたいのか

上記の画像はミドルの転職という転職サイトからお借りしたものです。


働く理由で一番多いのがやはり「収入を得るため」となっています。


またベーシック・インカムなどの最低所得保障があった場合でも、「更に収入を得るため」に働く選択をする人が多いという結果でした。


もちろん他にも「自分の能力・人間性を高めるため」や「仕事を通じて社会に貢献するため」という理由を上げている人もいますが、根本的には働く最大の理由は「金」です。


生活保護受給者や、働かないおじさんが揶揄されてしまいがちなのは、なんだかんだで「自分は金をもらうためにイヤイヤ労働をしているのに、働きもせず金をもらえてズルい」という妬みからでしょう。


つまり人間は労働をしたいのではなく、労働をした結果得られる「金」が欲しいだけ、ということです。


当然ながら、仕事を奪われることに危機感があるというよりは、AIに仕事を奪われた結果金が稼げなくなることに対する不安があるというわけです。

技術が進歩する度に仕事は失われてきた

技術の進歩によって仕事が失われる、という事態は人類にとって初めてではありません。


IT革命の時だって、もっと前の産業革命の時だってその都度職業はある程度失われてきました。


例えば「写真」という技術の発明によって写実的な画家は仕事を失うことになったでしょう。


しかしその後、抽象や現代美術などの新たなジャンルや価値観が生まれたし、新たに写真家という職業も誕生しました。


現代ではスマホの画像処理技術が向上し、誰でもキレイな写真が何枚でも撮影でき、加工もお手の物。
いわゆる町の写真館などは少なくなっていますが、それでもプロで活躍する写真家はごまんといますし、こだわりを持って撮影した写真や動画をSNSに上げるYouTuberや、インフルエンサーという職業も誕生しました。


つまり、技術の進歩によって職業は失われても、また別の新しい職業や価値観が生まれて来るのです。

仕事を奪われることによって救われる人々

それでも今後は労働収入を得られる職業の絶対数は徐々に減っていくし、そもそも少子化、人手不足という意味でも労働人口は減っていきます。


特に単純作業、単純労働系の職業(例:データ入力作業、接客)は現在進行形で非人力へと切り替わっており、そのような職業に従事する人員も減っていくはずです。


これまで技術の進歩によって失われてきた職業は、生産性が低い職業、あるいは人間にとって危険性の高い職業でした。


そしてそれらの労働を担うのは、古代では奴隷の役目でした。


奴隷制度が下火になると、次は身分が低い階級出身の者や田舎出身、金銭的に恵まれない家庭出身の者であったり、いわゆる学も手に職も無い者。


現代日本では危険性の高い職業は機械化や専門化(要国家資格など)によって安全性は高められ、業種も絞られ、賃金も高くなりましたが、もう一方の低賃金労働を担っているのは主に女性などの非正規雇用者や海外からの技能実習生達です。


ところでAIロボットを労働力として導入する際の最大のメリットは何だと思いますか?


単純作業に強い?
力仕事もまかせられるし、疲労もしないこと?


私はずばり「労働基準法を守らなくてよいこと」だと考えています。
言い換えるとAIロボットには「人権がない」ことです。


何時間、何十時間と働かせても食事休憩はおろかトイレ休憩すら要りませんし、文句も言いません。
おまけに賃金も支払わなくて良いです(メンテナンス費用は要りますが)。


つまりAIロボットは現代の奴隷なのです。


加えてAIロボットが生身の奴隷より優れている点もあります。


特に接客業では、愛想がないやら態度が悪いなどでもクレームが発生することがままあります。
しかし猫型AIロボットがちょっと料理を運んでくるのが遅くても、口癖が「にゃん」でも怒鳴りつける客はほぼいないでしょう。


だって機械相手に我を忘れて怒り狂うなんて明らかに可笑しいですから。


しかし生身の人間相手だと、就業中に水を飲むのは失礼だとか、トラックの運転手がサービスエリアでカレーを食べるのは変だとか、あまつさえ土下座を要求したり時には殴りかかってきたり・・そしてそのような「正当な権利」が顧客側にはあり、眼前の従業員には「人権がない」と勘違いするのが人間なのです。


そして本当に「人権がない」AIロボット相手にはそのような粗相をしでかす人間はいません。不思議ですね。

すでに働かざる者食うべからず、ではなくなっている

「一日8時間労働として、その時間がまるっと無くなったら他に何をすればいいの?」と考えてしまう方もいらっしゃるでしょう。


実に人間らしい問いだと思います。


結論から言えば、やりたいことをやり、やりたくないことはやらない、で良いと思っています。


好きな映画やドラマを延々見てもいいし、漫画や文学作品に熱中してもいいでしょう。
自然が好きな方は家庭菜園に勤しんでもいいですし、世界中を旅行したっていい。


実は日本の中には既にそういう生活を送っている人々がすでに3割も居ます。


そう、年金受給者です。


彼らが「働かないけどお金を得ている自分」に対して疑問や罪悪感を抱いていると思いますか?


年金の原資だって降って湧いたお金じゃなくて結局現役世代が支払っている税金じゃないか。


確かにそのとおりです。


だからこそ労働生産性の低い低賃金の職業はとことんAIによって淘汰されなければならないのです。
そしてより技術を進歩させ、新たに生産性の高い職業へとシフトしたり、新たな価値観を生み出していかなければならないのです。

古代ギリシア人に学ぶ働き方改革

労働は尊い行為。
「はたらく」とは、「はた(端)をらく(楽)」にする為のもの。
汗水たらして、手足を動かしてこそ一人前。


そのような価値観の強い日本では、労働生産性という概念は皆無です。


働き方改革と称して、長時間労働の是正などが叫ばれていますが果たして労働環境は改善されているのでしょうか。


ここはひとつ、古代ギリシア人の価値観に学ぶのはどうでしょう。


古代ギリシア人にとって、労働とは卑しい行為。

苦行で、苦役。神から与えられた罰。それが労働でした。


すべての労働、食物を作る農作業でさえ軽蔑されるべき行為で、そしてそれは支配されるように生まれついた不完全な人間である奴隷が担うべき行為でした。


じゃあ奴隷以外の人って何をしてたの?って感じですが、特に何もしない


暇なことが最高の幸せ、という価値観だったのです。


まぁ、その暇のおかげでこの時代に生み出されたギリシア哲学は現代にも通用する学びや教養として伝わっていますし、現代のギリシャだって未だに古代ギリシア時代の遺跡(パルテノン神殿など。観光産業)で食ってるレベルです。


全ての労働を奴隷に押し付けていた古代ギリシア人たちは、暇があり、学問や哲学を思う存分極めました。


その結果学術都市として栄え、ますます能力のある人が集まってきます。
優秀な人間が増え、貿易も順調、経済大国にもなり、金があるので強い軍隊も持ち得た。栄華を極めました。


労働生産性を上げる、ということはこのことです。
暇がないと生産性は上げられないのです。


そして技術の進歩によって合法的な奴隷というAIを生み出した人類。


AIに仕事を奪われるかもしれない・・と嘆くのではなく、さっさとAIに仕事を押し付けてしまいましょう。


そして人類はもっと楽しく、面白おかしく自由に何もせず生きるのです。


・・・ちなみに栄華を極めた古代ギリシアですが、その後衆愚政治に陥ります。
機能不全状態となった政治システムでは環境の変化について行けず、戦争にも負け続け、ついに古代ローマの支配を受け紀元前2世紀頃に終焉を迎えます。

※衆愚政治とは

仮に有権者がその社会において尊敬されるに十分とされる政治的な教養を受けていたとしても、コミュニティに適切な指導者(リーダーシップ)が欠如している状況を指す。 また互譲(譲り合い)や合意形成に失敗し、政策が停滞したり愚かな政策が実行される状況を指す。

ウィキペディアより引用

なんだやっぱりダメじゃん・・と思った方、安心してください。


衆愚政治に陥らないよう、政治もAIロボットに担当してもらうのです。


AIならば合理的で的確な判断をし、世襲議員や任期よりも先に寿命が来そうな議員よりもきっと素晴らしい政策を実現・実行してくれるでしょう。


それでも不安な方には、第99代内閣総理大臣が国会答弁の場で放ったこの言葉を送りたいと思います。


「最終的には生活保護がある」

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